~ピアニスト レイモンド サンティージ氏との出会い~
アメリカでも音大に入学すると大抵は専攻楽器別に個人レッスンの教授に付き
ます。私は入学初年度に最初に割り当てられた先生から初顔合わせの時
に、ピアノ科では大変人気の先生、レイモンド サンティージ
のレッスンを受けたらどうだ!と助言されました。
レイモンド サンティージは世界的なピアニストのチックコリアやキースジャ
レット、日本人では佐藤允彦さんや小曽根真さんなどを指導した教授で
実際新たに彼の弟子になれるのは、
学生の中でもごくわずかだったと思います。ところが幸運な事に、
私は一度のオーディションで弟子になることを許されました。
これが私のアメリカ留学における最大の出会いだと思っています。
最初のレッスンに向かい、さて部屋に入るとまず黒いグランドピ
アノが眼に飛び込んできました。先生がいない!いやソファに座
っていました。とっても小柄な方でボソボソと「オッケー、タケシ!
」と私の名前を呼んでくれました。少しホットしました。「何か好きな
曲弾いてみて!」 私は映画 黒いオルフェのテーマ曲を弾き
ました。先生はまた「オッケー タケシ!」と言って今度はおもむ
ろに弾き出しました。フワーっと厚みのあるサウンド、しかし軽くおし
ゃれ、これまではレコードの中でしか聴いたことのない本物の音使
いでした。私はまるで夢心地、そうです、仮に夢なら覚めて欲しくな
い・・そんな気持ちでした。
先生はニコニコ優しくただただ僕が好きな音使いを次から次にと
演奏してくれるのです。「ちょっと待ってください!メモさせて下さい」
記憶に留められない事がもったいないのです。そのサウンドは19歳の私
にとって探し続けていた宝・・・宝石のような音の粒が次から次でした。
ジャズはちょっとした刺激がきっかけで曲つくりの方向性が一瞬で
閃いたりします。そのきっかけをいくらでもいただける先生に習うことが
出来た事が最高でした。
それからは約四年間週一回から二回と先生のレッスン室に通
いました。また大学以外でも先生の紹介で新たな出会いや演
奏の機会をいただきました。泣き笑いもたくさんありました。ある日い
つものように先生が演奏をしているボストンでは大変有名な(現
在は有りませんが)ジャズワークショップというジャズのクラブに
出かけていきました。当時のアメリカのジャズクラブとは、収容人
数が150名位で、超一流のジャズメンが1週間単位で出演
しておりました。チケット代は約1,800円位で、日本よりかなり安
いなと思いました。
その夜は(1977年)すでに世界的に名を馳せていたMJQ
(Modern Jazz Quartet)の一員、ミルトジャクソン(ヴィ
ブラフォーン奏者)が私の師匠レイモンド サンティージと
共演をしました。他にベースとドラムスが入り本場のジャズを本
場のジャズクラブで聴くという、生まれて初めての経験をしました。
ヴィブラフォーン(鉄琴)はとても音の伸びる楽器です。ミルトジ
ャクソンがロングトーン(長めの音)を弾き、「どうだー、俺の音は
いい音だろう」 というような風情でななめ下からなめずるように顔
を上げたシーンを今でもはっきり記憶しています。これは彼独特の
表情です。
その後、レイから突然の電話があり、今、ミルトが部屋にいるから
すぐに来い!というのです。それは慌てて大学本館の教授の2階の部屋に行き、
そこに怖い顔をしたミルトジャクソンがいるではありませんか!
ところがすぐにミルトジャクソンがわたしに「あんたの事はレイから聞いてる」
「日本から良く来たな、何年いるつもりだ?」?と聞いてきました。
はっきり言って時間が止まったような気持ちでしたが、突然Bag’s Grooveを弾き始めたのです。
レイはわたしに弾け!弾け!伴奏してみなさい!と促してくれて…。19歳のわたしはただ無我夢中で鍵盤を叩きました。
今は亡きミルトジャクソンの演奏は包まれる心地よさ
がありました。ロングトーンの伸びたサウンドは一生の宝です。
彼の演奏は品格が高く優しく、そ
して心地良い音量で秋の
夜にぴったりでした。
(栗田屋本店 彩り通信 掲載コラム2018/11)