profile

栗田 丈資

栗田 丈資/ Kurita Takeshi

  • ・1958年生まれ
  • ・ジャズピアニスト
  • ・栗田丈資のジャズピアノスクール主宰
  • ・有限会社栗田屋本店 代表取締役

バークリー音楽大学ピアノ科卒業。
チックコリア 、キースジャレット、小曽根 真各氏と同じく同大学の最高の指導者と呼ばれたレイモンド サンティージ氏に4年間師事する。
渡米中はミルトジャクソンを始めエリックマリエンサル、バスターウイリアムス、アランドーソン等数多くのジャズジャイアンツと共演。
これまでには都内を始め全国でライブ活動を行い、現在も演奏活動と次世代の後進の育成を新時代に向けて継続中。

プロフィールプロフィール

HISTORYヒストリー

(敬称略)

1977
米国バークリー音楽大学ピアノ科入学。
世界的プレーヤーのミルトジャクソン、マイクスターン、アランドーソンと共演
1981
米国バークリー音楽大学 プロフェッショナルディプロマピアノ科卒業。同年バークリー特別選任教授ピアニストのビリーテイラーより在学中の功績を評され、特別賞を受賞。帰国後は稲葉国光、小津昌彦、西川喬昭、マーヴィー朝倉、本田俊之、アンリ菅野、笈田俊夫、大友義雄、水橋孝、古野光昭、竹内直、宮本大路、鶴田さやか達と共演し都内のライブハウスに多数出演
1981~
現在まで40年間に渡り「栗田丈資のジャズピアノスクール」を主宰。独自の「KURITAメソッド」を用いての指導は個人の潜在能力を引き出し、門下生一人一人が情緒豊かな演奏ができる事を目標に行われている

1981~

View of session and lesson by my piano students.

1995
初リードアルバム「スウィンガー」を発売。スイングジャーナル誌、ジャズライフ誌において、孤高のジャズ評論家、岩浪洋三より「若くも成熟の域」と称されCDデビューの年を飾った。また同CDは自動車メーカーMAZDAアテンザのプロモーションビデオ「三つの顔を持つ男」にて演奏を提供、好評を得た。また六本木ジャズクルージンにも参加し、都内ライブハウス、バードランド、ピットイン、オールオブミークラブ、リラキシン等にも多数出演。また、日本を代表するベテランドラマー西川喬昭率いる、アクアクメンバーとして96年~03まで活躍
1997〜
2001年まで、浜松カワイ学園特別講師として講師養成のジャズピアノセミナーを行う
2001
宮内庁御用達有田焼窯元 深川製磁主催のレセプションにてソロライブ(佐賀県協賛)

2001

I performed the solo live at the reception
of Fukagawa Seiji porcelain museum in Saga pref, Japan

2014
ソロアルバム「君住む街角」をリリース。同年、iTunesにて多くをダウンロードされ、リリース後半年は発売ライブや各マスコミの取材を受けアマゾンジャパンより多数を出荷
2019
静岡市清水区次郎長生家にてSPAC俳優関根淳子と「奏でる生家」で共演。朗読に合わせた即興演奏は好評を博す

2019

Collaboration with actress of SPAC,Sekine Junko at the Jirocho House in which he was born.

1978
ボストンを皮切りにロスアンゼルス、ニューヨーク、デンバー、ロンドン、ローマ、ライブツアーに参加。同年、バークリー音楽大学ピアノ科教授レイモンドサンティージの薦めでバークリーコマーシャルバンドに加入し活躍。ボストンの有名ジャズクラブ「ルルホワイト」「コプリプラザ」「トップオブプルデンシャル」に自身のトリオ等にてレギュラー出演

1978

Professor Mr.Ray Santisi and Kurita Takeshi.I graduated from
Berklee Collage of Music and I was awarded a Billy Tyler Prize in 1981.

1982
直木賞作家、村松友視トークショウにて音楽演出を担当。都内スタジオレコーディングにおいては数多くのコマーシャルを担当。また、大手広告代理店の依頼にて多彩なジャンルの作編曲及びレコーディングを担当
1987
フランスのブランド「エルメス」丸の内店主催の「パリの午後祭」に出演し、エルメス社5代目社長ジャンルイデュマエルメスより高輪会館において、世界的フルーティストジャンピエールランパル、日本の俳優三船敏郎との「ジャンルイの夕べ」の晩餐に招待を受ける

1987

I performed at the”Paris Afternoon Festival” sponsored by HERMES in Marunouchi Tokyo, and I was invited to the “Jean-Louis Hermes Evening” supper.

1998
静岡センチュリーホテルにて日本の横笛奏者で人間国宝 二代目藤舎名生とのコラボ「春の宴」に出演。同年初のトリオ作品「エモーション」をリリース。栗田丈資(p)西川喬昭(d)福井五十雄(b)

1998

I performed with Japanese traditional fruitist,Living National Treasure,
Tosha Meisho at the Century Hotel in Shizuoka.

2011
静岡県SPAC舞台芸術センター「朗読とピアノ」に参加し、俳優奥野晃士と共演。ジャズとクラシックを融合した組曲を披露
2016
南青山マンダラにて、大岡淳氏の演出「~歌と演奏と芝居による岸田國士バラエティショウ~」に連日出演

2016

I performed with Japanese traditional fruitist,Living National Treasure,
Tosha Meisho at the Century Hotel in Shizuoka.

2021
清水次郎長生誕200年記念事業「次郎長が夢みた清水港」を清水文化会館マリナート大ホールにてSPAC俳優奥野晃士と共演(延期)
1977
米国バークリー音楽大学ピアノ科入学。
世界的プレーヤーのミルトジャクソン、マイクスターン、アランドーソンと共演
1978
ボストンを皮切りにロスアンゼルス、ニューヨーク、デンバー、ロンドン、ローマ、ライブツアーに参加。同年、バークリー音楽大学ピアノ科教授レイモンドサンティージの薦めでバークリーコマーシャルバンドに加入し活躍。ボストンの有名ジャズクラブ「ルルホワイト」「コプリプラザ」「トップオブプルデンシャル」に自身のトリオ等にてレギュラー出演

1978

Professor Mr.Ray Santisi and Kurita Takeshi.I graduated from
Berklee Collage of Music and I was awarded a Billy Tyler Prize in 1981.

1981
米国バークリー音楽大学 プロフェッショナルディプロマピアノ科卒業。同年バークリー特別選任教授ピアニストのビリーテイラーより在学中の功績を評され、特別賞を受賞。帰国後は稲葉国光、小津昌彦、西川喬昭、マーヴィー朝倉、本田俊之、アンリ菅野、笈田俊夫、大友義雄、水橋孝、古野光昭、竹内直、宮本大路、鶴田さやか達と共演し都内のライブハウスに多数出演
1981~
現在まで40年間に渡り「栗田丈資のジャズピアノスクール」を主宰。独自の「KURITAメソッド」を用いての指導は個人の潜在能力を引き出し、門下生一人一人が情緒豊かな演奏ができる事を目標に行われている

1981~

View of session and lesson by my piano students.

1982
直木賞作家、村松友視トークショウにて音楽演出を担当。都内スタジオレコーディングにおいては数多くのコマーシャルを担当。また、大手広告代理店の依頼にて多彩なジャンルの作編曲及びレコーディングを担当
1987
フランスのブランド「エルメス」丸の内店主催の「パリの午後祭」に出演し、エルメス社5代目社長ジャンルイデュマエルメスより高輪会館において、世界的フルーティストジャンピエールランパル、日本の俳優三船敏郎との「ジャンルイの夕べ」の晩餐に招待を受ける

1987

I performed at the”Paris Afternoon Festival” sponsored by HERMES in Marunouchi Tokyo, and I was invited to the “Jean-Louis Hermes Evening” supper.

1995
初リードアルバム「スウィンガー」を発売。スイングジャーナル誌、ジャズライフ誌において、孤高のジャズ評論家、岩浪洋三より「若くも成熟の域」と称されCDデビューの年を飾った。また同CDは自動車メーカーMAZDAアテンザのプロモーションビデオ「三つの顔を持つ男」にて演奏を提供し好評を得た。また六本木ジャズクルージンにも参加し、都内ライブハウス、バードランド、ピットイン、オールオブミークラブ、リラキシン等にも多数出演。また、日本を代表するベテランドラマー西川喬昭率いる、アクアクメンバーとして96年~03まで活躍
1997〜
2001年まで、浜松カワイ学園特別講師として講師養成のジャズピアノセミナーを行う
1998
静岡センチュリーホテルにて日本の横笛奏者で人間国宝 二代目藤舎名生とのコラボ「春の宴」に出演。同年初のトリオ作品「エモーション」をリリース。栗田丈資(p)西川喬昭(d)福井五十雄(b)

1998

I performed with Japanese traditional fruitist,Living National Treasure,
Tosha Meisho at the Century Hotel in Shizuoka.

2001
宮内庁御用達有田焼窯元、深川製磁主催のレセプションにてソロライブ(佐賀県協賛)

2001

I performed the solo live at the reception
of Fukagawa Seiji porcelain museum in Saga pref, Japan

2011
静岡県SPAC舞台芸術センター「朗読とピアノ」に参加し、俳優奥野晃士と共演。ジャズとクラシックを融合した組曲を披露
2014
ソロアルバム「君住む街角」をリリース。同年、iTunesにて多くをダウンロードされ、リリース後半年は発売ライブや各マスコミの取材を受けアマゾンジャパンより多数を出荷
2016
南青山マンダラにて、大岡淳氏の演出「~歌と演奏と芝居による岸田國士バラエティショウ~」に連日出演

2016

I performed with Japanese traditional fruitist,Living National Treasure,
Tosha Meisho at the Century Hotel in Shizuoka.

2019
静岡市清水区次郎長生家にて、SPAC俳優関根淳子と「奏でる生家」で共演。朗読に合わせた即興演奏は好評を博す

2019

Collaboration with actress of SPAC,Sekine Junko at the Jirocho House in which he was born.

2021
清水次郎長生誕200年記念事業「次郎長が夢みた清水港」を清水文化会館マリナート大ホールにてSPAC俳優奥野晃士と共演(延期)

REASON私がピアノを教える理由

わたしが40年以上も前に渡米した理由は言うまでもなく、日本では得られない本物のジャズピアノを勉強したかったからです。アメリカではレコードの中でしか聴いたことのない本物の演奏が目の前で毎日聴くことができました。チックコリアもビルエヴァンスもゲイリーバートンやケニーバロンそしてロンカーターが目の前にいたのです。

それは大きな驚きと喜びでした。 わたしにとってはまさに水を得た魚の如く、ピアノに夢中になり、あれもこれもと覚えたものでした。情報に飢えていた時代でした。しかし現代では、ネットでいくらでも情報を得られるようになり、これは明らかに「情報過多」の状況となってしまいました。

そのような情報過多状態では、人間は「決断疲れ」を起こし、思考が麻痺し始め、何かを決断するのが面倒になってしまいます。ジャズピアノの習得も同じです。今更情報に飢えるという後戻りはできませんが、見極めて決断することが極めて大切になる時代です。

当スクールには「何をどこから学んだら良いかが分からない」との問い合わせが実は一番多いのです。ジャズ理論は確かに大切です。しかし実はジャズピアノは「何を弾くか」よりも、「どう弾くか」がもっとも大切な事です。情報として成り立たせ易いものはどうしてもこの「何」の部分が多くなり過ぎてしまい、練習途中で混乱してしまいます。

わたしはバークリー音楽大学時代に学んだことを数年前にネット時代の人々に向けて「KURITAメソッド」として新たに考え、ジャズピアノ習得のための必要なカリキュラムを「初心者向け」と、「弾けるけどジャズになっていない方向け」に分けて再構成し、現代のジャズピアノは「どう弾いたら良いのか」をお伝へしていきたいと思いました。

世の中には多くの素晴らしいジャズ愛好家が大勢おります。プロ、アマ問わずにジャズを通して、楽しみ、分かち合い、さらに地域や社会に貢献する優れた人材もおります。わたしもジャズピアノを通して、この混沌とした時代に一人でも多くの次世代のジャズピアノの魅力をお伝えしたいのです。

STORY栗田丈資物語

01鍵盤との出会い

わたしが4歳の時に近所の楽器店で買ってもらったピアニカ(鍵盤ハーモニカ)…これがわたしと鍵盤との始まりでした。そしてすぐにピアノに魅せられ、明けても暮れてもピアノに向かい生意気にも小学生の時にジャズに出会い惚れ込んでしまいました。

それはピアニスト オスカーピーターソンのWe get requestsというアルバムでした。もちろんいきなりジャズを始めたわけではなく、ポピュラー音楽、ラテン音楽、映画音楽などを知りながら、バドパウエル、セロニアスモンク、ジミースミス、スタンゲッツ、ウェスモンゴメリーとたくさん聴きました。小学5年生の自分は「枯葉」の楽譜を探しに近所の楽器店に行ったことを覚えています。

ただ楽譜は無く、偶然そこにいたギターを弾く楽器店の方が手書きで楽譜をわたしに書いてくれました。
ジャズを弾きたくても当時は情報を得るテキストすらほとんどなく、遠い存在のプレイヤーの演奏を年に数回鑑賞する程度でした。

02「ピアノのくりたくん」

当時わたしのようなピアノを弾く男の子は珍しく、どこからともなくテレビ番組やファッションショーに呼ばれたり、コンクールや発表会後のデモ演奏もよく頼まれていました。ドリフターズの「8時だよ全員集合」の前身番組にも何回か呼ばれ、作曲家のなかにし礼さんとはその時に知り合いました。また、女優の浜美枝さんと一緒にお仕事をさせていただいたり、俳優の三船敏郎さんなどもご紹介いただきました。
ですから、学校中でいつの間にか「ピアノのくりたくん」になっていました。

しかし、なぜ小学生の自分がそんな事ができたのでしょうか?それはわたしの父のサポートがあったからです。わたしの父はいわゆるステージパパで、わたしのピアノに関するすべての面倒をみてくれました。

レッスンや出場したコンクールなどは朝から夜までずっと横に付いているのですから、周りの方から「くりたくんのお父さんは何をしてる人?」とよく聞かれました。

03一番ピアノに触れた時期

そんな私は中学生の時にはオスカーピーターソンやジミースミスの真似事をはじめ、現在の浜松学芸高等学校音楽科ピアノ専攻時代にはベートーヴェンやショパンの後にジャズを弾いておりました。

文化祭では同級生の男子にベースとドラムを任せてオスカーピーターソンの「酒とバラの日々」などを真似ては演奏をしていました。
その頃のわたしは、クラシックピアノと当時流行っていたヤマハのエレクトーンにも夢中になり、コンクールの常連に。全国大会入賞をきっかけに高校生の分際でヤマハの特別講師となり全国各地でデモストレーション演奏をしておりました。

進学希望は国立音大のピアノ科で、同大学ピアノ科教授だったウラジミール竹ノ内先生に中学と高校の六年間毎週日曜日に東京都調布市までレッスンに通っておりました。

04バークリー音楽大学との出会い

さてそんな高校三年生のある日、当時のヤマハのリゾート施設「つま恋」からジャズライブでピアノを弾いてみないか?と日本楽器浜松支店の担当者から連絡をもらいました。今思えばどんな演奏をしたかはっきり記憶はしていませんが、アンサンブルの臨場感とジャズ特有のテンションに衝撃を受け、まさにジャズに引き込まれてしまいました。

そしてその時共演したミュージシャンから初めて「アメリカにあるバークリー音楽大学」の存在を知りました。ジャズの大学?そんな大学があるの?これまで自分が関わってきたクラシックやエレクトーンの分野にはない自由で大きなジャズの世界を知るに至り、わたしはバークリー音楽大学への留学を決意しました。浜松と東京で二人の先生にも自分の考えを伝え、進路変更も理解していただき、多くの方の支援をいただきながら、1977年当時の羽田空港から高校の同級生に見送られて単身渡米をしました。赤いじゅうたんを歩いた事を今でも覚えています。
1981年ピアニスト ビリーテイラーより卒業証書を授与されました。

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