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2021 / 10 / 07

彩り通信 掲載コラム Vol.9 「初日でエヴァンス」

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1970年代のボストンには有名なジャズクラブが何件かありました。いつ
でも急にジャズを聴きたくなったらすぐに聴きに行けるというのがとても贅沢な事でした。しかも超が付く一流なプレイヤーが出演していました。

初めてライブハウスを訪ねたら小さな
看板にさりげなくPiano、Bill Evans(ビルエヴァンス)と書いてある
。エヴァンスと言えば世界中のジャズ演奏家に影
響を与えた伝説のピアニストです。私が渡米していた最中の198
0年に惜しくも四十代で故人となってしまいましたが、私が帰国する
年亡くなる二週間程前にも偶然演奏を聴くことができました。

ジャズクラブの中は綺麗というよりなんとも言えない熱気に包まれ
ておりました。礼節を重んじる日本人の文化とは違い西洋人は人
との関わりがフランクで自然なためか雑多な会話の途中でおも
むろに奏者が出てきて自然に演奏がスタートし、段々に盛り上が
っていく。演奏はじっくり二時間位です。”さあ始まります!皆さん
聴いてください!これで終わります!”という仕切りの日本文化と
の違いを感じました。良いとか悪いではないのです。まるで宴会と
パーティーの違いみたいなものでしょうか?

突然ですがジャズは英会話ととても似ています。日本語は母音
が多く英語は子音が多い、ですから英語はなんとなくむにゃむに
ゃ(笑)聞こえませんか?実はジャズも音の出し方にわざと影を
持たせたりして全体の中で陰影をつけます。やはりむにゃむにゃ
弾く部分があります。英語を話してジャズを奏する、これがごくごく
自然にジャズの表現やマインドに直結します。

ボーカルが一番わかり易いのですが、英語で話していてそのま
ま英語の歌をうたう。ごく自然で当たり前なことですがこれをピア
ノで表現するとなるとなかなか難しいのです。それほど異国の芸
事は馴染むことの難しさの壁を感じました。

私の暮らしていたボストンの街は都会で広大なアメリカというイ
メージではなく(もちろん一歩郊外へ出ればとてつもない広いの
ですが)大学のとなりが銀行で向かえにはレストランやスーパ
ーマーケットに郵便局があり、この清水や静岡の街並みと似
ておりました。ジャズクラブの帰りは近くに地下鉄の駅がだいた
いあり、結構怖い思いをして帰路についたものです。1970年代
のアメリカ東海岸はまだまだ治安が悪く、夜八時以降の外出
はかなり神経を使いました。生活をしている以上私も危険な目に
何度か合いました。ジャズクラブを出ようとした時クロークの方
が小声で私に話しました、”となりのお客さんの懐に銃が見えま
したよ”と。これにはびっくりしました。ジャズとは別の意味で緊張
感がありましたが、これを含めてジャズということですね。

(栗田屋本店 彩り通信 掲載コラム 2019/1)

 

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