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2023 / 02 / 17

彩り通信 掲載コラム Vol.17 「ニューヨークストーリー」

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1979年とある日私は演奏のためニューヨークに向かいました。ボストンとニューヨークは距
離にして約400キロ位で車で5時間位だったかと思います。

40年前のアメリカはすでに高速道路網がかなり発
達していましたが、そのわりに標識や照明設備はお粗末なもので
まだナビなどというものはあろうはずもなく、地図を片手に心配に
なるほど何もない高速道路をひたすら走りました。高速道路は無
料の区間や有料の区間があり、料金所には大きなバスケット
みたいなカゴが有り、そこに高速料金をコインで投げ入れるとい
うユニークかつ不思議なシステムでした。さて、高速道路を無
事に降りて信号待ちをしていたら突然大男三人が勢いよくこちらに
近づいて来ました、当時のアメリカは治安が最悪で
とにかく常に危険と隣り合わせで何が起きるかわからない最悪
は命に係わるという時代でした。車に近づいてくるなり突然私の車のウインドウを拭きはじめ、

ものの10秒も拭いたでしょうか…
突然大きな声で1ドル!1ドル!と叫びました。瞬間的にはいわ
ゆる単に危険な物を突き付けて金を出せ!と言われるかと思って
おりましたが、車のウインドウを拭いてその拭き賃をくれ!という事だ
ったのです。もちろん1ドル札3枚差し上げました。現在の相場で
700円位です。そんな感じでした。

こんな調子でニューヨークでは何が起きるかわかりませんでした。

いつもは電車で行く事が多く、車は不便な事が多く、仕事で会場入りするまでに余計なストレスは掛けたくありませんでした。

ですから遠くからハドソン川に掛かるあの映画でよく見る吊り橋、ジョージワシントンブリッジが見えてくるまではきがきではありませんでした。

 

 

ニューヨークと言えばほとんどが有名なマンハッタン地区(マン
ハッタン島)を意味することが多いのですが、私はその日は打ち合わせでまずロアー
マンハッタン地区のワールドトレードセンターに向かいました。そうで
す!2001.9.11にテロにあった世界貿易センターです。
まず私はビルに入るなり大きな部屋に誘導されました。なんだ
!この部屋は?と思うのも束の間、突然部屋ごと上に動き出した
のです。なんと部屋は巨大なエレベーターだったのです。すごい
勢いで一気に110階まで上がったと思ったら、今度は入った側と
反対の壁(ドア)が開いたのです。これもまたびっくり!それはすでに
夕暮れ時、黄金色に染まったマンハッタンの景色が一望され
息を飲んだ事を今でも覚えています。

話は少しそれますがマンハッタンと言えば、エンパイアステート
ビル、ロックフェラーセンター、ハドソン川、高層ビル群、と数
々の名所がありますが、本当にそれらの景色を味わうのはその中に
居ては見られないのです。
実はハドソン川を超えてニュージャージーから見るか、イースト
リバーを超えてクイーンズから見るか、このどちらかがニューヨー
クの名所を一度に味わう最高のポイントなのです。また、こんな有
名な話もあります。ニューヨークのマンハッタンに居を構えることの
出来る人はいわゆる成功者だとされています。何を基準かは忘
れましたが全体の3%以下だそうです。しかしマンハッタンの美し
い眺望は外側から見たほうが綺麗だと…外から眺めるしかできな
い人はいつもそう言ってます。まだまだニューヨークの話は尽きませ
ん。初めてばかりの経験は40年以経った今でも忘れらないものです。

また肝心なライブの話はいづれお話しします。

 

(栗田屋本店 彩り通信掲載コラム 2020/1)

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