1970年代、アメリカの大学の学食という場所で味が無い、パサパサ、量が多
い、薬臭いという異文化の食事をしなければならなくなり毎回今日の料理
は何だろう?食べれるかな?ときっと不味いかな?と思うようになり、日本から
送ってもらったマヨネーズ、ふりかけ、醤油を片手に学食に向かうようになりまし
た。それらをカリフォルニア米に掛けて食べていました。かなり悲惨な食生活を
数か月おくりました。当たり前の事ですが食事は人間のからだを作る材料で
すから何か食べないわけにはいきません。大学にも慣れてくると学食で野菜サ
ラダだけもらい寮の部屋で日本から送ってもらったインスタントラーメンを調
理してパン屋でパンを調達して日本製のジャムをつけて食べるようになりまし
た。少しほっとしてきました。当時、日本製のインスタントラーメンや通常の調
味料もアメリカでも買えるのですが、日本のブランド食材も
すべてアメリカ人仕様になっており、味付けが全く好みではなくや
はりダメでした。
あれから四十年以上…現代はどこの国に行っても味は国際標準化
が進み、また自分の味に対する経験値も増え不思議なくらいに
むかし程味付けの違いに驚く事は少なくなりましたがもちろん食文
化とはその国の歴史であり長年培って出来たものですからまだま
だ知らない料理もたくさんあります。
当時ボストンで私が感じた食文化の違いはアメリカ人の食事
は肉、じゃがいも、チーズが基本です。わたしたち日本人は米、
魚、野菜、漬物です。そもそもここが違うだけですべての料理が違
ってきます。素材の違いは決定的ですね。
また少し話が逸れますが私たちの内臓やいろいろな許容は縄
文時代とあまり変わってないとか?だからいものにっころがしと魚と
野菜を食べていれば良いが、そうではなく西洋料理ばかりだとか
らだに負担がくると。また日本人の食事は一食の量が少なく、
(これは食事を残さないという価値観も関係しているかと思います
が)アメリカ人に比べると自宅での食事が多いように感じました。
これまで書いてきた事はわたしがアメリカに留学をしてまだ最初
の半年位に感じた事でここから先はだんだん私もアメリカナ
イズされていきました。何より留学の真の意味はその文化にど
っぷり浸かる…つまり白人とも黒人とも英語を話して、アメリカ
の食事を食べて、ジャズを学ばなければ意味がありません。
寮から一年で飛び出した私は大学のすぐ近くにアパートメン
トを借り外食という新たな世界に喜びを見出しました。夕食
にピザと野菜サラダとコカ・コーラ(こんな夕食は四十年前
にはまだ戸惑いがありました)サンドイッチにクラムチャウダ
ースープ、時には日本食レストラン通いで、かつ丼や焼き
鳥定食、何故か日本ではあまり聞いたことの無い”豚豆腐”
という豚肉と豆腐のみそ煮込みのようなものなどなど楽しみま
した。そして自炊は最後の最後で、友達にカレーを作ってもら
ったりハンバーグを作ってもらったりとしておりました。それから当
時は良くアメリカのアイスクリームも食べました。申し訳ないの
ですが、アメリカでほぼ唯一美味しいと感じたものはアイスクリームと
オレンジジュースだけでした。現在では美味しいものも沢山ありますね。
(栗田屋本店 彩り通信掲載コラム 2019/12)