これまでにボストンの街や、大学の授業の事、偶然の人との出会い
などなど、アメリカ留学時代の話をたくさん書かせていただいてます。
しかしこれまであまり触れてなかった事があります。それは食生活の事で
す。はっきり言って慣れるのには、いや慣れませんでしたが(笑)大変苦
労しました。
留学最初の一年間は寮生活でした。大学の上階が寮フロアとなって
おり、日によっては一歩も外出せずに授業と生活がひとつの建物の中
でできてしまいました。マイナス10度に達する厳寒の冬は助かりました。
まず寮生活とは同時に食事が付いてくるという便利さがありましたが・・・
さて、まずは学食のはなしです。食堂は大学の地下にありました。細い
廊下をゆるやかなスロープと共に地階に降りていくのですが、これが何
とも徐々に気を落とす最初の原因だったかもしれません。食事の時間
は当然学生が集中するため、何十人と並ぶのです。トレイを片手に
取り、雑多に放り投げられたカトラリー置き場から自分のナイフとフォークとスプーンだけ取ります。
自分の順番がくるまでに感じた事は・・・低い声と甲高い声の混じった会話、知り合いの外人と会
えばハイタッチで一言会話、結構強めの整髪料やパウダーのような匂い、どれも不慣れな私に
とっては、これから食事をするという前段階としては誠に逆の方向に連れていかれるようなものでした。
これが外国だーと感じながら自分の食事を受け取る順番です。大柄な食堂のおばさんが低い声
で怒ったように「グレイビーソース?」と必ず聞かれます。これはアイスクリームをすくう時に使う丸
い形のサーバーから取ったマッシュポテトに掛けるソースがいるのか?いらないのか?と尋ねてく
るのです。何も味の付いていない、びちゃびちゃのポテトに薬臭いソース(すみません、私は当時そう
感じました)しかも驚くのはその量です。どんぶり一杯に近い量!そして次は野菜サラダです。これは
自分で取るので量は大丈夫なのですが、子供用の庭に置くプール位の囲いにレタスだけが入
っていて、そこからすくうのです。もうこの時点で何も食べなくても気持ちは殆ど満腹になってしまいます。
味付けはドロドロの甘ーいドレッシングだけです。あとはとにかく塩と胡椒のみです。私はほとんど
何も掛けずに食べていた記憶があります。もちろんお肉はありますが、私の中ではサンダルが1枚出
てきたという印象でした。当時のアメリカ料理は薬臭くて味がほとんど付いていなくて量がものすごく多い
という事に尽きました。
現在ではそんな事は全くありませんが、当時の食生活では日本とアメリカの違いをたくさん感じたものでした。
(栗田屋本店 彩り通信 掲載コラム2019/11)