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2022 / 11 / 03

彩り通信 掲載コラム Vol.14 「日本人としての海外生活」

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遠い異国の地で暮らしていると偶然出会った東洋人が日本人とわかるだ
けで大変ほっとするものでした。海外でずっと生活をしていると言葉の事で時
々頭が混乱してしまい、自分が何人かわからなくなるような気にさえなり、日
本語が通じるというだけで救われた気持ちになり我に返った気持ちになった
ものでした。

さて、私はボストン生活四年間の間に何度か「世界は狭い
!」と思う経験をしました。今回はまたそんな偶然の話を書きます。
当時私が留学していた大学には日本人が何人か在籍してお
りましたが、特別に日本人だけ集まる公式な集いなどは一度も
なく、何となく広い大学の中で数人の新たな日本人と知り合い
になりました。また大学以外でも初対面で日本の方と分かれば
ほぼ間違いなく「どちらの出身ですか?」「何故ここにいるのです
か?」と自己紹介の一部の様に互いの情報を共有したものでし
た。そんな中でも偶然に郷里が同じ人に出会った時はさすがに
嬉しかったです。そんな時は話は三倍に膨れ上がる程に郷里を
懐かしむ会話が続くのです。

前回のニュースレターでもお話させていただきましたが、中学の
同級生(ヒロシくん)と徒歩数分程の所に互いに知らずして住ん
でいたのは本当に驚きでしたが、静岡駅の南口近くの出身の方
や、清水区有東坂出身の方も同じボストンに居たのです。すぐ
に静岡弁が出てきて盛り上がりました。(笑)ふと、静岡の人は特
別にボストンが好きなのか?留学率が高いのか?と考えました
が…。そんな事はないはずです。そして彼らとは40年以上経った
現在でもお付き合いがあります。

今考えれば、同じ郷里の出身者同士は同郷のよしみで助けて
もらったりして本当に有難たかったです。彼らとは静岡で会わずし
て遠いアメリカで出会ったというのも、不思議な縁(えにし)を感じ
ました。よく人との出会いは、「必然であり、意味がある」と言われ
ますが、遠い異国の地で互いに何かの目的を持って生活をして
そしてそれが有意義な留学生活だったと回顧出来る現在、彼ら
に出会えた本当の意味だったと思えます。

(栗田屋本店 彩り通信 掲載コラム 2019/10)

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