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2021 / 05 / 26

彩り通信 掲載コラム Vol.1 「鍵盤に触れて」

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こんにちは!栗田丈資です。名前は”たけし”と読みます。一風変わった漢字使いですが、
その昔両親が清水では有名な「丹後山」で付けてもらった名前です。皆様とのコミュニケーシ
ョンを図るためにこの「彩り通信」でおしゃべりをさせていただきます。みなさんで楽し
くこのニュースレターでお付き合いをしていただきたいと思います。まずは宜しくお願い
します。

 

私は当店の3代目として現在の清水銀座の方で(現在当店の所在地は通称清水駅前銀座アーケ
ード街ですが)育ちました。現在も栗田屋支店という店名にて私の父の弟、つまり私の叔
父がかつて暖簾分けをして営業をしておりますが、現在の当店とは経営は別です。さて話
を戻しますが、当時の清水銀座、昭和30年代頃といえば大盛況の盛りに十分達しており、当
店の向かえには通称ダイエイさんという金魚屋さんがあり、毎夜そこにうなぎ釣りのお客
さんがわんさか訪れ、首尾よくうなぎが釣れれば大きな喝采とともにその場で勢いよくう
なぎをさばいて持ち帰る勇士に羨望の眼差しが注がれる光景は、子供心の自分もしっかり
記憶してます。また「おばけ市」などという銀座通りの売り出しも大盛況で、通りの向こ
うに簡単に渡れない程の人々がおりました。現在の四葉商会さんの向こうには小松屋さん
というやはり金魚屋さんがあり、亀を見にいったりパンを買ったり(なぜか金魚屋さんで
もパンを売っていました)楽しい時間を過ごしておりました。

 

 

しかしそんな中で私にとって一際興味をもったのが「山口楽器店」でした。考えてみれば
それぞれのお店には個性があり子供にとっては全てがレジャーランドみたいなものでした
が、何故か山口楽器店の楽器、当時はピアニカ(鍵盤ハーモニカ)が欲しくてすぐに両親
に買ってもらいました。4歳の時です。そこからこれまでの私の音楽人生が始まりました。
鍵盤に吸い込まれたのです。もう開けても暮れてもピアニカで当時のはやりの曲に興味を持ち、その後はピア
ノを触り出し、いつのまにか音楽は自分にとって切っても切り離せないものとなっていきました。そんなわけで益々陶器店の跡継ぎからは遠ざかっていきました。

 

(栗田屋本店 彩り通信 掲載コラム 2018/4)

 

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