なぜ、私たちはビル・エヴァンスに惹かれるのか

ジャズピアノを学んでいると、
ある時ふと、こんな言葉が浮かびます。
「ビル・エヴァンスのように弾けたら」
これは決して珍しい感情ではありません。
むしろ、とても自然で、健全な憧れです。
派手ではない。
速くもない。
それなのに、なぜか深く心に残る。
音数は決して多くないのに、
和音が鳴った瞬間、空間そのものが変わるように感じる。
その静かな説得力に、気づけば耳を奪われている。
ビル・エヴァンスの音楽には、
「上手くなりたい」という欲求とは別の次元で、
音楽の本質に触れてしまった感覚があります。
ビル・エヴァンスは、何を特別にしていたのか
ビル・エヴァンスの魅力を語るとき、
よく「難しいコード」「高度な理論」という言葉が出てきます。
確かに、
彼の和声感覚やボイシングは洗練されており、
不用意に真似をすると、音が濁ったり重くなったりします。
しかし、本質はそこではありません。
彼が徹底していたのは、
和音を“塊”として弾かないこと
音と音の距離を、常に耳で確認していること
ハーモニーを「横の流れ」として捉えていること
つまり、
コードを押さえているのではなく、響きを運んでいるという感覚です。
エヴァンス独特の「弾き方」に共通する要素
演奏を細かく見ていくと、
ビル・エヴァンスには、いくつかの明確な特徴があります。
たとえば、
左手は常に“ベースの代わり”をしているわけではない
和音は下から積まず、内声を意識して配置されている
強く弾かず、タッチの深さで音量を作っている
特に重要なのは、
左手と右手が対等に音楽を作っているという点です。
右手が主役、左手が伴奏、
という役割分担ではありません。
どちらもが、
フレーズであり、ハーモニーであり、
同時に“呼吸”をしている。
この感覚が分からないまま形だけを真似すると、
音は似ていても、音楽にはなりません。
なぜコピーしても「近づいた感じがしない」のか
ここで一つ、正直な話をします。
ビル・エヴァンスのフレーズを
そのままコピーしても、
多くの場合、手応えは残りません。
理由は明確です。
そのフレーズが生まれた前後の流れを理解していない
どこに向かっている音なのかを把握していない
拍の中で、どこに重心があるかを感じていない
つまり、
音だけを取り出しても、時間の感覚が抜け落ちてしまう
のです。
レッスンでもよく聞くのが、
「合っているはずなのに、響かない」
「弾いているのに、何かが平坦」
という声です。
これは失敗ではありません。
むしろ、耳が次の段階に進もうとしている証拠です。
エヴァンス・サウンドを“扱える”ようになるために
エヴァンスの音に惹かれる人には、
共通した感性があります。
音の響きの違いに敏感
和音の色合いを楽しめる
派手な展開より、流れや余白を大切にしたい
こうした感性は、
正しい整理がなされると、
確実に演奏に反映されます。
大切なのは、
「エヴァンスのように弾く」ことではなく、
なぜ、この和音は美しく感じるのか
なぜ、この間が心地よいのか
なぜ、ここで動かない選択をしているのか
こうした判断を、
自分の言葉と音で説明できるようになることです。
栗田丈資のジャズピアノスクールで行っていること
栗田丈資のジャズピアノスクールでは、
ビル・エヴァンスのスタイルを
そのまま再現する指導は行いません。
代わりに、
内声の動きをどう作るか
左手の役割をどう分散させるか
音を「並べる」のではなく「運ぶ」感覚
こうした点を、
実際の曲とテンポの中で確認していきます。
結果として、
「以前より、音が自然につながる」
「和音を弾いているのに、フレーズに聴こえる」
そんな変化が、
少しずつ現れてきます。
最後に
ビル・エヴァンスに惹かれることは、
ゴールではありません。
それは、
音楽との向き合い方が変わる入口です。
もし今、
「なぜ、あの音に惹かれるのか」
「どうすれば、自分の演奏に落とし込めるのか」
そんな疑問を感じているなら、
それはとても良いタイミングです。
音楽は、
憧れから始まり、
理解を経て、
やがて 自分の音 になっていきます。


